5/2『10代の最後に戻される』

チェンナイに着いたのが朝の5時。

いくらなんでも早すぎ!

マハーバリプラム行きのバススタンドに行くにも、ちょっと早いよなあー

と思っていると、駅で日本人と思しき人を発見!

実は日系のカナダ人の方でしたが、日本語が喋れて、日本に住んでいた事もある紳士でした。

小一時間くらいお喋りした後、紳士と別れてオートでCMBTバスターミナルへ。

 

マハーバリプラム行きのバスを探していると

同じくマハーバリプラムへ行くという白人男性とインド人男性のコンビと知り合った。

白人の方はテキサス出身のジョンさん。

なんと、日本語が喋れる!

京都にいたことがあるそうで、今はインターンシップでインドで保険の研究をしているそう。

もう一人のインド人の方はラージャスターン出身のアミット・シンさん。

彼はジョンさんとコンビで研究をしていて、二人で休暇を利用して旅行しているという。

という、三言語入り交じった複雑会話。

バスの中で3ショット!後ろの人もカメラ目線です。

 

久しぶりのマハーバリプラムへのバス。

バスの道中の景色は全く見覚えがないものだった。

忘れたのか、変わったのか。

そもそも前はCMBTというバスターミナルからは行かなかったような気がする。

(後から、マハーバリプラムへの道が新しい道に変わったことを知りました。)

 

しかし、道中にカンフーやカラテ道場の看板があるのは前と同じ。

他には真新しい企業ビルや、立てている途中の建物がたくさんあって、リゾート開発も盛んだなあって思った。

 

やがてマハーバリプラムに着くと、ここも様変わりしていた。

新しいホテルや店が増えているのと、インド国内外からの観光客の増え方がスゴい。

海岸寺院周辺がきれいになってたし、いろいろ整備されてた。

 

そりゃあ9年もあればいろいろ変わっている。

もちろん、変わらない部分もあるけれど。

 

前に行ったRose Garden Houseというレストランにいってみた。

1997年にいったとき。→当時の日記

2000年→当時の日記

そして今回2009年。

名物じいちゃんのムットゥさん、9年前に会った時

「次はいつ来るんだい?早く来ないとわしゃ生きてないぞ。」

と言ってたけど

やっぱりすでに亡くなっていました。

お店の人に写真を渡すと「とてもいい料理人だったよ。明日息子が来るから会いに来なさい。」

 

ジョンさん、アミットさんと三人でまずは海岸寺院へ。

また来ちゃいました。

こじんまりとしてるけど、なんだかカラっとした明るい侘び寂びがある。

年代も古いし、海岸なので角がとれちゃってる。

シヴァとパールヴァティの夫婦仲良し像。

ご本尊のリンガ。

牛もまるっこくなってます。

イノシシ像

 

つぎはアルジュナの苦行

これは、やっぱりすごいなあ。

で、ちょっと可愛い。

右下でネコもヨガやってる。

動物が生き生きしてて、象のしぐさなんて最高。

あ、本物の動物だ。

 

チャリンコ借りて、パンチャ・ラタへ。

南インド全ての様式の建築がいっぺんに見られるという『パンチャ・ラタ(5つのラタ)』

これ、世界遺産。でも登ったり入れたりしちゃうのが良いなあ。

日陰ですずんでる。

実物サイズの象の像。

小学生が記念写真とってたので、ついでに撮ってみたら…

こうなっちゃった(笑)

 

 

チャリンコで次へ!マハーバリプラムはいろんな石窟寺院があっておもしろい。

 

寝ているヴィシュヌ神

マヒシャアスラマルディニー(マヒシャアスラ(水牛の悪魔)を退治するドゥルガー女神)

カッコイイ!

 

あそこは前に来たときも登ったぞ。

また登ってみた。

ちなみにジョンさんは暑さでバテちゃったので、アミットさんといっしょに下で休んでた。

 

下に居た二人に上から挨拶。

 

二人はこれからバスでポンディシェリーに行くというので、その前に荷物を置いとくために部屋さがし。

泊まったホテルは、さだかではないけれど12年前に泊まったのと同じホテルかもしれない。

Wの部屋がRs.500。

かなり高いとおもったけど、そもそも全体的に物価はあがってるし

今はRs.1が2円だけど、あのころは3.5円だった。

 

タンジャーヴールで泊まったような豪華なホテルではないが、静かで清潔。

シャワーもちゃんと出るので満足。

いろいろ変わっているけど

マハーバリプラムを歩いていると、最初のインド旅行のころの思い出が蘇ってくる。

 

12年前、19歳。

いろいろ変わった。自分も変わった。

あのころには戻れないけどなんだか切ない気分になる。

特にここで何か大事なことがあった訳ではない

時間の量がぐっと押し寄せてくる。

悲しくないけどなんだか泣き出したいような、不思議な気分になってきた。

 

ランチは暑がりなジョンさんもいるので冷房つきのレストランに入りました。

ぼくは復活ミールス!

おかわりしないでも腹一杯で、もう食えん!うまかった。

 

二人とはバス乗り場でお別れ。

楽しかった!

インド名物『怪しい動物ゴミ箱』

 

そのあと、あっちをうろつき、こっちをうろつき、うろうろうろうろ散歩してみた。

砂浜に行くと、シーフード屋や土産屋、移動遊園地に射的に輪投げ屋と、縁日みたいになってた。

砂浜への道。みやげ屋通り。

射的屋。ゴム風船を撃つ!

当たってもとくに景品なし!

人力メリーゴーランド!

人力回転車!

シーフードフライ屋さん。

魚の丸揚げ

カニの丸揚げ!

スパイスが効いてて、殻まで食べられる。ウマかったー!

ザッパーン!

暑いです!海です!

むかーし、ここで撮った写真が家に飾ってある。

海岸寺院はほんとは7つあったのが、どんどん流されたらしい。

浜辺ではぽつぽつと遺跡がある。

何!?

サンタさん!?

インドの真夏にサンタさんに会ってしまうとは思いませんでした。

 

 

浜辺からもどって、またぶらぶら歩いてたら、日本人みたいな顔の女子を発見。

東洋人顔ってだけで話してみると、香港生まれでオランダ留学中の学生さんで、ツアーでインドに来たという。

同じ『東アジア顔のよしみ』ってことで近くの海岸レストランでビール飲み。

店の人に「マハーバリプラムも随分変わったね。」というと

「津波が来る前は小さい村だったんだけど、津波からの復興に合わせて大きくなって、変わったんだよ。」

 

そうか、スマトラ島沖地震の津波でおおきな被害があったんだ。

この店も流されて作り直したらしい。

窓の外では牛がいました。うみうしだ。

窓の外ではおばちゃんがいました。

しきりに布を買わないかい?とプッシュ。

いらないよー、でもおばちゃん、笑顔が素敵。

レストランの窓から見た海岸寺院。

東アジア顔と魚のホネ。

魚フライとポテト(フィッシュ&チップス)

ビールが進んでしょうがない。

 

話しをすると、他にもインド中いろいろな地方にツアーに出てる友達もいるけど

自分と同行してる人もいるから、夜にまた会ってご飯食べよう!ってことになった。

東アジア顔なのに言葉は英語なので、頭がこんがらがる。

でも、アジア人の英語って通じやすい。

 

店を出て、歩いてたら巡礼中のおじいちゃんと会ったので記念撮影。

 

『そういえば、9年前の旅行でも、マハーバリプラムで香港出身の男子と出会って、彼のゼミの友達と夜飯を食いに行ったなあ。』

と思ったら

 

同じ店に夜8時集合ということだった。

なんという偶然!

というか、その店『ムーンレイカーズ』は西洋人には有名なシーフード料理屋で、客のほとんどは外国人なのだ。

 

いったん別れて、8時までマハーバリプラム探索続行。

そういえば、マハーバリプラムの名前は、いまはタミル語の『マーマッラプラム』に変わった(戻った)みたいです。

こういう地名の回帰運動はインドで盛ん。

マドラスはチェンナイだし、バンガロールはベンガルール、トリヴァンドラムはティルヴァナンタプラムに変わってる。

 

大きい石像を運ぶ人達。

彫刻は今も昔もマハーバリプラム名物なのだ。

クリシュナのバターボール

まだ転がらずに残ってます!

 

夕焼けカーリー

 

8時になったのでムーンレイカーズへ

おーオシャレ!

 

ビールとうまい食べ物で幸せ〜な三人。

英語が苦手でも、アクションがあればなんとかなる!

楽しかった〜!

注文をとるときに、材料を見せてくれます。

これが食いたい!と魚を指定。

魚カレーを注文。

タミル名の『ミーンコロンブー』と注文したら、「オーケー!」とノリノリでした。

ブツ切りの魚が骨ごとはいってる。

タマリンドとトマトの酸味がきいててスゴく旨い!

そしてめちゃめちゃ辛い!

うまい!辛い!うまい!辛い!

腹がマサラ復帰したばっかでガツンとしたもの食べました。

 

辛い魚カレーを完食し、ビール飲んで、よく喋って良く笑って、しばらく放心状態。

 

二人と別れてホテルに帰ってきました。

あした、カーンチープラムに寄ってからマドラス行こうかな?

直でマドラス行こうかな?

どうしようかな?

 

と、迷いつつ、おやすみなさい。

 

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