オレインド帰国後 オレジャパン
8月31日、ボンベイのエアインディアのオフィスからのエアポートバスに乗り、国際空港に行く時 エアポートバスの客はおれ1人だった。 窓からはボンベイ特有の『イギリス風だけど、やっぱりここはインドだぜ』って景色が見え、2時間 くらいかかって空港に着いた。 空港では同じ5:30発ナリタ行きの飛行機に乗る日本人がたくさんいた。 インドで一度にこんなにたくさんの日本人を見ることはなかった。 なんかみんなしずかーに待ってる、 いつものように、『あ!日本人ですかー?こんにちはー!』と声をかけたら、なぜか引かれてしまった。 なんでだろう?なんで挨拶したら答えてくれないんだろう?不思議。 で、どんな旅行だか聞いてみたら、その人達は『一週間サイババ見に行きにインド行こうツアー』の人達 だった。だから、あんまり話しかけられるのに慣れてなかったみたい。 その後、空港の受け付けのパスポート見せるところの人とヒンディー会話したら、話が弾んで、パスポー ト見せるときに『あ、別にいいよ、大丈夫』と言われて、ラフなかんじで通してもらった。 あと、並んでるひとでも、いかにもバックパッカーって人は話がおもしろくて、ずいぶん話した。 で、つまんなそうにしてる人とかにも手あたりしだい声かけて飛行機のなかでもすぐに隣の人と友達にな った。 スチュワーデスの人もヒンディー語で話してたらいろんな人が声かけに来たり、ビールをおまけしてくれた り、なんでか新聞までヒンディー語のをくれたりして、随分おもしろかった。 そして、日本に着いたら着いたで、電車のなかで知らない人に話し掛けたり、コンビニで『センキュー!』 とかいったりして、いかにもハジメテ海外いってきました! ってかんじで面白かった。 で、家に帰ったら家族がみんなお盆で岩手の田舎に行っていた…
日本に帰ってきて感じたコトやっちゃったコト(箇条書き)
あとがき
「インド人はズルい?「ダマされた?」「インドのめしは不味くて食えない?」等々、いろんな『インド体験談』 及び『インド本』を読んだり聞いたりしていたが、普通に『アヤシイ人には気をつける』という基本的なことをし てたらあるていどは大丈夫だったし、むしろ親切な人の方が多かったって印象のほうが強い。 『ボラれる』と有名な物売りだって、自分の納得した値段で買えばそれでいいんだし、ボラれていないと思う、 そして、おれにとってのインドの飯はほとんどウマイものばかりであった… 結局、人それぞれ違う感想を持つし、インドはめちゃくちゃ広い国だから、他の人の意見が全部、自分にあてはまるもんじゃない。 そういうことをちょこっと思って、この絵日記のタイトルを『オレインド』にした。 あくまでもこの絵日記は1997年、今のオレが感じたことをだらだら書いた(描いた)もんだから、もしも、これを読んだ人が 『こんなのインドじゃない!』『オレはそうじゃなかった!』って言っても、別になんでもないのである。 関係ないし、ノープロブレム!だからどうした!なのだ。 おれは、この旅行中に出会った、愉快な人、やさしい人、抜け目ない人、やたらうるさい人、人なつっこい人、オレのことをじーっ と見た人、親切にしてくれた人、道を教えてくれた人、めしをごちそうしてくれた人、バイクに乗せてくれた人、おまけをしてくれ た屋台の兄ちゃん、偶然ばったり会ったSさん、そして、おれに会ったすべてのインドの人達、少し寂しくなったときにタイミング よく現れた日本人の人達、途中まで一緒に旅行をしていたK姉さん、その他大勢の人達に心からお礼を言いたい。 感動させてくれてありがとう、怒らせてくれてありがとう、笑わせてくれてありがとう、泣かせてくれてありがとう、親切にしてく れてありがとう。 おれはいま日本にいるが、ボンベイから日本に行く飛行機に乗ったとき、なぜかとても寂しかった。 仲のいい友達と別れるような気分だった。 何人かの人に『次はいつ来るんだい?』と聞かれ、『神様だけが知ってるよ』といったら、ある人はこう言った。 『神様はあなたの中にいるんだ、あなたの意志が神様の意志なんだよ。』 近いうちにまた行きたい、その時はまた別のオレインドを見てくるんだろうなー。 インドでのあのなんともいえない空気の記憶がおれの中から風化するまえに絶対またいくぜー!待ってろよーオレインド!